当たり前ですけど「愛されたい」って、全然ワガママなんかじゃありません!
そして「愛されたい」と願うということは、愛される可能性があるということであり、あなたが愛される存在である、ということなんです。
たとえば私は、宇宙飛行士になれるとは思っていないので「宇宙飛行士になりたい」なんて1mmも頭をかすめたことがありません。
よく「叶うから願わされる」と言われるゆえんも、そこにあります。
あなたの潜在意識は、「愛される」可能性があることを知っているから、「愛されたい」と強く思ってしまうんです。
そうは言っても!
「愛されたい」と思っているのに、ちっとも愛されない。
「愛されたい」なんて思うのは、ワガママなことなのでしょうか…というお悩みが出てくるのはナゼなのか?
愛されたいと願っても、愛されない
私もずーっと、ずーーっと「愛されたい」と願ってきました。
大好きな人に「愛されたい」と願い続けてきました。
だけどちっとも叶わなかった。
なぜなら、「愛されたい」とひたすら願っていたから。
「愛されたい」という願いが出るということは、最初にも書いたとおり、愛される可能性があるということであり、愛される存在であるということなんです。
しかし!
「愛されたい」とひたすら願うということは、「私は愛される存在である」ということを信じられていないからなんですね。
「愛されたい」と思いながらも、「私は愛されない存在なんです」と潜在意識にブレーキをかけているので、結局愛されないのです。
そして、「愛されたい」と強く思うときって、自分で自分のことを愛せていないとき。
自分で自分のことを愛せていないから、誰かから「愛をもらおう」とします。
そうやって「奪おう、奪おう」とするから、もらえないのですね。
まずは自分を愛すること。
自分で自分のことを愛せていないのに、そんな私を「愛して」なんて言うから、ワガママになってしまうんです。
「私は、この商品好きじゃないから買わないけど、あなたには買って欲しいですー」って、ワガママですよね??
そして「ほしい、ほしい」と願うときは、あなたの意識が「ない」に向いています。
つまり「不足」を意識しているので、不足が拡大していってしまうんです。
愛されたいと願うのではなく、愛される存在だと認める
なんども言うように、「愛されたい」という願いがあるということは、つまり「愛される」存在であるということです。
だから、「愛されたい」と願うのではなくて、「愛される」存在であると認めるだけでいい。
認めるということは、「愛を受け取りますよー」という許可を出していることになります。
私がもう長い間フリーランスとして、時間や場所に縛られずに仕事ができているのは、ある時「フリーランスになりたい」と思ったからです。
だけど、ずーっと「フリーランスになりたい」と思い続けていたら、たぶんなっていない。
「フリーランスになりたい」という願いから「フリーランスになる」と決めたから、いま、フリーランスで仕事をしています。
同じように「いつかハワイに行きたいなぁ♡」と思っているだけでは行けませんよね?
行く時間を確保して、ハワイのホテルや飛行機のチケットを予約しているときって、「ハワイ行きたいなぁ」ではなくて「ハワイに行く」と決めていますよね?
こういうことなんです。
「痩せたい!」と思っているだけの人って、結局食べちゃうんです。
「痩せたい」じゃなくて「絶対に痩せるんだ!」と決めた人が、痩せるんです。
「愛されたい」だけでは、愛される可能性はあるけれど、受けとる準備(覚悟)ができていない、ということ。
「ハワイに行きたいなぁ」と漠然と思っていて、もし「明日から行けるよ?」なんてなったときに、準備(覚悟)ができていないと、せっかくのチャンスを逃してしまいます。
願いが叶う人は「◯◯したい!」じゃなくて、「◯◯する」と決める、認めているんです。
愛を受け取る準備をしよう
「愛されたい」と願うのは、全然ワガママなことじゃない。
だけど、自分で自分を愛していないのに「私を愛して」と訴えるのはワガママってもの。
愛を受け取る準備とは、これまでに書いてきた2つのことです。
・自分で自分を愛する
・愛される存在であると認める
人はどうしても、自分からなにかを奪おうとしている人にたいしては「奪われまい」とします。
「愛されたい」という、愛をほしがる人にたいしても、その無意識の部分を感じ取るので、「奪われまい」としてしまいます。
恋愛がうまくいく女性って「愛されたい」ではなくて「あなたが好き」なんです。
大好きな人に溺愛されている女性って、ただ「あなたが好き」なんです。
そして、こうやって、ただ「あなたが好き」という素直な気持ちでいられるのは、自分で自分のことを愛しているからだし、私は「愛される」存在だと認めているからなんですね。