彼氏に対して我慢するのに疲れた問題。
私も例に漏れず経験していて、相手が変わってもいつも、彼氏に対して我慢をしていました。そして「もう疲れた」とばかりに爆発して終わる。
だけどやっぱり「まだ好き」なので、再びよりが戻るも、やっぱり我慢をしてうまくいかないというパターン。
相手が変わっても彼氏に対して我慢をするということは、彼氏が悪いのではなく、自分の問題であるということ。
自分の問題であるということは、自分が変わればいいだけであり、私も自分が変わったことで我慢をすることがなくなり、結果的に幸せな恋愛ができるようになりました。
彼氏に対して我慢することの問題点
彼氏に対して我慢することの、一番やっかないなことは、嫌われたくなくて我慢をしているのに、我慢をすることで相手を嫌いになってしまうことです。
この「嫌い」というのは「好き」の反対の「嫌い」というより、好きであるがゆえの「憎しみ」が大きくなるという感じ。
本当に嫌いになれたら、「もう疲れた」なんて思わない。清々しますものね。
やっぱり「好き」な気持ちがあるから「もう疲れた」問題が起こります。
人って自分が一番可愛いんです。
可愛い自分に我慢をさせている相手を手放しで好きでいられるはずがなくて、憎しみがどんどん大きくなっていってしまうんですね。
彼氏のことが好きで、嫌われたくなくて我慢をしても結果的に終わってしまうのだとしたら、我慢をしないで彼氏と向き合うほうがいい。
むしろ我慢をやめるとうまくいく。
「嫌われたくない」という思いは、潜在意識では「嫌われる」と信じていることになる。つまり「嫌われたくない」と思ってとる行動は、結果的に「嫌われる」に結びついたりするんです。
嫌われたくなくて媚を売る人って、好かれないでしょう?
嫌われたくなくて相手に合わせる人も、好かれない。
嫌われたくなくて我慢をすると、彼氏に対して可愛くない女になり、やっぱり愛されるような女性とは反対の方向に進んでしまいます。
我慢することをやめるには、まずは「嫌われたくない」という思いを手放すことが有効、というわけですね。
嫌われたくなくて我慢するのはもうやめよう
私も「嫌われたくない」と思いながら恋愛をしてきたので「嫌われたくない」という思いを手放すのは難しかった。
どんなにうまくいっていなくても、どんなに辛くても、自分がやってないことをやるのは勇気がいるものです。
だけど、私も本気だったので、これまで「嫌われたくない」と思って我慢していたことを、一つずつやめていきました。
すると…
我慢していたことをやめても、嫌われるどころか、大切にされるようになりました。
自分に我慢をさせない=自分を大切にしている、だから。自分を大切にしていない人を、他人が大切にはできないのです。
嫌われたくなくて我慢をしてしまう女性には、自己肯定感の低さがあります。
私も「我慢をしないと彼氏が離れていく」とずっと思っていたから、我慢をしていましたが、ものすごく自分を低く見積もっていますよね。
もう少し自分の魅力を信じていいし、彼氏のことも信じていい。
彼氏のことで頭がいっぱいだとどちらにしろ疲れる
彼氏に対して我慢をしてしまう女性は、彼氏のことで頭がいっぱいです。
我慢をしているということは、本当は「こうしたい」という欲求があって、それを抑え込んでいる状態です。
疲れてしまうぐらい彼氏に対して欲求があるということは、それだけ彼氏のことで頭がいっぱいだということ。
彼氏のことで頭がいっぱいだと、どちらにしろ「もう疲れた」問題がやってきます。
寝る時間以外、ずーっと彼氏からの連絡を待っていたら、そりゃ疲れる。
コントロールできない相手のことをずーっと考えて「こうしてほしい」「なんでこうしてくれないの?」と考えていたら、どうしたって疲れますよね。
彼氏に意識を向けている時間より、自分に意識を向ける時間を増やすこと。
これは愛され女子になる必須条件です。
「我慢すること」を目的にしていませんか?
私たちの脳は、自分が「こうなりたい」という目的地があって、その目的地にむかって進むようになっています。
いつのまにか「我慢する」という目的地を設定してはいかせんか?
「我慢する」という目的地が設定されていると、「我慢する」ことが必要となる状況を作りだしてしまいます。
本当はどうなりたいのだろう?
この目的地が間違っていると、そこにたどり着くことはできません。
「どうやってLINEを我慢しようか」
「どうやって会いたいのを我慢しようか」
と、我慢をする毎日を目的地に設定するのではなく、私が幸せな気分で過ごす毎日を目的地にする、とか。
私が設定していたのは、「毎朝起きるのが楽しみになる毎日」でした。
彼氏に対して我慢をして疲れる毎日ではなく、「こんな毎日を過ごしたい」という憧れをワクワクしながら設定してみてくださいね。
そうすると自分がとる行動も変わっていき、やってくる現実も変わってくるのです。