与えたものが返ってくる、というシンプルな法則があります。
先に出すから、受け取ることができます。
私たちが生きているのは呼吸をしているからで、この呼吸も、息を出さないことには吸うことができません。
先に「呼」がきて、あとに「吸」という漢字が来ていることからもわかります。
食べ物を食べたくても、やっぱり排泄をしたりエネルギーとして消費しないことには食べられません。
生きるために必要な呼吸や食べることは、出すのが先。
なんでも出すのが先で、返ってくる、与えられるのはその後になります。
ちなみに呼吸は潜在意識とつながっており、不安やストレスがあるときは呼吸が浅くなったりするし、安心感に包まれているときは呼吸が深くなります。
反対に深く呼吸をすることを意識するだけで、不安が少なくなるので、私たちにとって呼吸はとても大切なものなのです。
恋愛も「与えたものが返ってくる」の法則
恋愛がうまくいかない人は、愛を出さずに愛をもらおうとばかります。
なんでももらおうとばかりします。
過去の私がそうだったので、よくわかります(笑)。
「話を聞いてもらおう」
「楽しませてもらおう」
「愛してもらおう」
「構ってもらおう」
「安心させてもらおう」
「満たしてもらおう」
気づけば、LINEをするときでも、彼に楽しませてもらいたい、安心させてもらいたいという気持ちがどこかに隠れていて、そこに愛はない。
「いや、私は彼のことが大好きなんだ!」というのは、好きという感情であって、愛を与えているわけではありません。
もちろん、ただ「好き♡」という感情でいられるのも恋がうまくいく秘訣!しかし愛されベタさんは「好き」という感情に、「私を満たして!」「私を愛して!」というエネルギーを乗せてしまいます。
本当に愛を与えるとは、彼の幸せを願うこと。
「私はこんなに彼のために頑張っているのに!」というのは、与えているとは言わないのですね。
恋愛って、相手の気持ちがすごく気になりますよね?
それはあって当然のことだけれど、彼が私のことを好きなら、私もこの恋愛を頑張る、彼に優しくしてあげる。彼が私のことを好きなら、私も好きになる!
彼が私のことを好きじゃないなら、冷たくする、諦める。
ではないんですね。
本気で彼のことが好きなら、好きでいていいし、「彼といられて幸せだなぁ」という幸せの感情を出していい。
その方が恋愛はうまくいってしまうものです。
もし仮に相手が彼じゃなくても、あたたかい感情で過ごしていれば、あたたかい気持ちになるような現実が必ずやってくるから。
疑いを与えるからそれが返ってくる
彼にたいして疑いをもっている、つまり疑いのエネルギーを出していれば、当然疑いたくなるような現実が返ってきたりします。
愛されベタさんは、愛を与えずもらおうとし、愛を与えず疑いの気持ちを出しています。
コンビニでプリンを買うときも、そのプリンに見合ったお金を出すからプリンをもらえるでしょう(買えるでしょう)?
プリンが欲しいのに、ティッシュを差し出してもコンビニでプリンが買えないのと同じで、疑いのエネルギーを出しながら、相手を疑いの気持ちをもって見ながら、「愛してほしい!」と願っても愛されません。
理由もなく疑うのはやめる。
自分がいらないものを与えるのではなくて、欲しいものを与えましょう。ただし、見返りを求めずに与える。
見返りを求めるのは奪うエネルギーを出していることになります。
「結局どうしたらいいんだ!」という声が聞こえてきそうですが、自分が満たされている状態でいることなんですね。
満たされているから欲しがらないし、欲しがるというのは不足しているからです。
そもそも自分にないものを与えることはできません。
自分で自分を愛しているから、愛を与えることができ、自分で自分を満たしているから、相手を満たすことができます。
だからまずは自分が欲しいものは、自分にたくさん与えてあげることなんです。
彼から欲しいものは、自分が自分に与えてあげないことには、彼にも与えることはできないし、結果、彼からもらうこともできません。
与えたものはどこかから返ってくる
与えたものは必ずどこかから返ってきますが、どこから返ってくるかはわかりません。
だから感謝は最強なのです。
なにに対しても感謝の気持ちをもっていれば、様々なところから感謝したくなることがたくさん返ってくるから。
なにより感謝の気持ちをもって過ごせるって、自分が一番幸せな気持ちになりますよね。
彼にたいしても「こんなに好きな気持ちでいさせてくれるなんてありがたいなぁ」と思ってみる。
そうすると幸せな気持ちになるでしょう?
私は、世間的に見てもお金もちと言われる人たちと交流がありますが、お金持ちの人は、自分がもらおうとするより与えているんです。
与えているから、結果、人やお金、満たされた生活、心などたくさんのものを手に入れています。
みんなが楽しめるような場を提供したり、情報を与えたり、本当に与える精神なんです。
もちろん自分を犠牲にして与えているわけではありません。
こういうことができるのはやっぱり、自分が満たされているからであり、満たされているというのは感謝の気持ちをもって過ごせているからです。